2016年10月17日月曜日

[Sun Star Cebu] キブランサ:芸術には心が必要(パート2)

キブランサ:芸術には心が必要(パート2)

ルイス・A・クイブランサ三世(2016年10月10日)



サンカルロス大学建築学部およびファインアーツ劇場で9月23日に行われた映画制作者フォーラムの間に、地元の映画制作者や映画祭の創設者との間でかわされた心のこもった交流は、地元の映画シーンに光を当てるものとなった。

賞を受賞している映画制作者であり、フォーラムのモデレーターでもあったアラ・チョードハリーは、フォーラムの間に、「私たち(映画制作者)の多くは、これを楽しみだけでやっているわけじゃない……キャリアを映画に投じるのはとても難しいので、私たちは自分たちを護りがちだ」という。

私は亡くなった祖父のことを知るチャンスがなかった。安らかに。だが2005年に彼が亡くなってから何年もしてから、私は父から、弁護士だった祖父が、どのようにセブの映画にも貢献してきたのかを聞いた。

明らかにずっと昔、ルイス・シニアは、運材商売で得たカネを投じて、映画制作を行ったのだ。

「なぜおじいさんは映画を始めたんだろう」と私は父に尋ねた。
「ビジネスのためだ」
「でも運材のような商売から芸術に投資するというのはおかしな考えだと思わないか?」
「その通りだ。だが彼は夢見人だったのだ」と父は答えた。

自分のクリエイティブな面に正直であるために、ルイス・シニアは、'70年代にサウスシーズ・プロダクションを設立し、滝の側で眠ってしまい、目覚めると妖精に迎えられた男についてのドラマ=ミュージカルである「Awit Sa Damgo」を制作した。エグゼクティブ・プロデューサー兼プロデューサーとして、ルイス・シニアはクルーに滝の側の川面の下にステージを作らせ、キャストが水の上で踊っているようにみえるようにした。

何が起こったか? 映画は売れなかった。祖父はものすごい損失を出し、父によれば、途中で一部の連中が資金の取り扱いを誤ったことについて文句さえ言っていたという。

これはあまりに良くある話であり、だからこそチョードハリーが地元の映画制作者が結束して、この芸術とビジネスを護らなければならないと述べたことが適切であったのかという理由だ。

「私たちは皆、協力しなければなりません」と フィリピン映画制作協議会(FDCP)の会長、リザ・ディーニョ=セグエラは述べている。「尊敬が非常に重要です……私たち全員が、(映画)コミュニティーのためにここにいるということを示しても問題はないと思います。私たちは、いろいろなところから来ていますが、向かうビジョンは一つです」とFDCPの会長は述べた。

ディーニョ=セグエラは、この国の映画産業のためにFDCPが検討している計画をいくつか挙げた。彼女は、セブーにシネマテックが必要であること、海外で映画に関する機会を常時監視していくこと、フィリピン映画フェスティバルを海外で開催すること、より多くのフィリピン映画を大学に持ち込むことなどを述べている。

「アートや文化に関しては、私たちを動かすのは心であって、カネではありません」とディーニョ=セグエラは述べている。

こうしたものをすべて聴いた上で、私は良いリマインダーとなりそうなことをいくつか理解した。

芸術を中心としてビジネスを構築するのであって、その逆ではない

このビジネス・モデルはそのまま、つまりモデルだ。モデルは、既に存在しているブランドに対して切り離したり、取り付けたりすることができる枠組みだ。アートに関するビジネスに精通することは、単に良いことであるばかりでなく、長期的な成功や安心と一体となっている。だが、ビジネス的な側面は、それ自体としては、特定のブランドやアート作品の第一の本質であってはならない。そうでないものをそうであるようにマーケッティングすることは危険だ。

人気がある日本のバンド、BABYMETALはまれな「サクセス」ストーリーだ。このグループの音楽は、ヘビー・メタルと日本のポップ音楽を融合している。バンドは自分たちのロック・バンドに関わっているミュージシャンである大人たちと、日本ではアイドルと呼ばれている、ボーカルを担当する3人の少女で構成されている。作品がキャッチーで、革新的で、従って富をもたらすものであることは否定できないが、この創造は、女の子たちのポップ・グループに、日本の最高のメタル・ミュージシャンから選抜されたオールスターを組み合わせることを考えついたプロデューサー、小林啓のビジネス・ファーストのアプローチから生まれた。BABYMETALは、ミュージシャンが音楽を創ることを考えているガレージで生まれたわけではない。これはビジネス・コンセプトなのだ。

アートはカネの問題ではない—少なくとも最初は

私が思い出したのは、地元のオルタナ・ロック・バンドがボーカリストを通じて、学校がプロモーションやサウンド・システムのための予算はあるのに、バンドに1,500ペソしか払えないという文句を言ったという話だ。これはソーシャル・メディアを炎上させ、一部のミュージシャンは決してカネの問題ではないと主張した。

もちろん、決してカネの問題ではない。だが単に「カネは大切ではない」と述べることで、虐待と搾取の対象となる取引の被害を受ける側にいる可能性が高い地元のアーティストの球場に無関心であるような文化に寛容であることもやはり間違っている。これはお互いの尊敬の問題だ。人々は、バーのギグに行くためのガソリンに金を払う。どうやってミュージシャンが機材を持ってバーに行くと思うのか? 自転車か?

アートだけの問題ではない、生活の問題だ。誰もが目の前に示された取引をより良く吟味し、単なる詐欺から一生に一度の機会を区別するための少しばかりのビジネスに関する知識が必要なのだ。もちろん、自分が何を話しているのかまったく分かっていない人々が悪口を言い始めたら辛い。アートに対する愛情とその美のために、思う存分がんばっている本物のアーティストが存在しているのだ。

▼元記事
Quibranza: Art takes heart (Part 2)


4 件のコメント:

  1. 「金儲けが目的ならわざわざメタルなんてやらない」 byドムローソン

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  2. 2で終わってたw

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  3. いつも不思議に思うのだが、ベビメタのコンセプトが売れるなんて誰が予想できたのかね?ビジネスファーストでこんな企画するのは愚かだと思うよ。

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  4. フィリピンの地方紙でしょうか?
    地域のアーティストをどう支援するか、なんて真面目なコラムに(ちょっと唐突な感もありますが)ベビメタが出てくるとはw
    大変興味深いですね
    翻訳ありがとうございます

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