メタルであるとはどういうことか:BABYMETALの事例
ザ・ブルーエスト・ライト(2017年1月5日)
山のようなMETALLICAの新譜に関するレビューを読むのを休んで、メタルについて話し合おう。数多くのライターが書くことより、音楽の方に価値を置くメタル・コミュニティーのアウトサイダーとして、みんなの意見を聞きたい。これは、タイトルにあるバンドにインスパイアされたもので、この書き物の中心となる。もし読んでくれるなら、あらかじめお礼を言いたい。
2枚のアルバムと数回のワールド・ツアーを備えたBABYMETALは、メタルの世界を席巻してきた。ただし、だからといってこのバンドを議論から除外することはない。メタル・ファンの多くは、このバンドがまったくメタルでないと糾弾し、メタルに起こりうる最悪のことだとさえ言った。この種のコメントは、特にBABYMETALがJUDAS PRIESTのフロントマン、ロブ・ハルフォードと共演しているビデオに対するもので明らかだ。
["BABYMETAL & Rob Halford - Painkiller, Breaking The Law"へのリンク]
このビデオは始まるまで1分かかるんだ。非常に申し訳ない。
何でこのバンドが嫌いなんだろう? 二つの理由から来ていると思う。明らかなのは、メタルの演奏の上に飾られているJポップ・ボーカルとメロディーだろう。
["BABYMETAL - ギミチョコ!!- Gimme chocolate!! (OFFICIAL)"へのリンク]
二番目の理由は、基本的に、彼女たちが日本のアイドル・バンドだということだ。このスタイルのバンドとして、3人のアイドル・メンバーは楽器を演奏せず、自身の曲や歌詞を書かず、バンド自体が、レーベルが音楽を創るためにまとめられた作り物である。完全な作り物で、チャートでの成功を意図したものだ。
["BABYMETAL - ド・キ・ド・キ☆モーニング - Doki Doki☆Morning (OFFICIAL)"へのリンク]
前の理由にこだわるなら、俺はそのサウンドを離れてBABYMETALがメタル・バンドではないと言うのは不公平だと思う。俺の意見では、より幅広いメタル・コミュニティーに知られていなければ、彼女たちは一つの実験=アヴァンギャルド・メタル・バンドだということになっていたはずだ。だが、その人気と、バンド自体がBABYMETALをジャンル(カワイイ・メタル)にしようとプッシュしているので、実験的ではなく、むしろトレンディーとみられている。
たとえば、CARNIVAL IN COALを見てみよう。彼らは上記の実験的なジャンルに入るが、この曲では少なくとも、その音楽に明確なディスコ・サウンドがある。これはBABYMETALとどこが違うのだろうか?
["Don't be happy, worry"へのリンク]
君は、Jポップとディスコは、メタル・スペクトラムの両端だと思うかも知れない。BABYMETALが実験的なメタル・バンドであるという概念を推し進めれば、彼女たちは最新アルバム、「Metal Resistance」で様々な異なったジャンルを採用している。
彼女たちの新譜は、ニュー・メタル・サウンドの曲をフィーチャーしている。
["BABYMETAL - KARATE (OFFICIAL)"へのリンク]
フォーク・メタル・サウンドの曲
["META メタ太郎"へのリンク]
DRAGONFORCEのメンバーをフィーチャーしたパワー・メタル・サウンドの曲
["BABYMETAL - Road of Resistance - Live in Japan (OFFICIAL)"へのリンク]
そしてスラッシュ・メタル・サウンドの曲。これらは例に過ぎない。
["BABYMETAL - Sis. Anger"へのリンク]
このことは、このバンドが実験的であり、実際、メタルであることを証明している。もし彼女たちのサウンドがメタルではないと反対するなら、その音楽に伝統的にノン・メタルのジャンルや楽器を取り入れているCARNIVAL IN COALのようなバンドもメタルではないと考えるべきだろう。
後者の理由は面白いもので、君たちの一部が、このコミュニティーが売ることについて語ることでシェアしているものだ。BABYMETALは有機的に作られていない。既存のアイドル・グループにいた三人の女の子たちを集めてこの音楽を演奏している。メンバーの誰も、結成前はメタルが何かを知らなかった。
もし君が、メタルが自然で、売ることについてのものではないという意見なら、君の意見を変えることはできないし、そうしたいとも思わない。ただたずねたいのは、このコミュニティーのアウトサイダーであり、主に実験的なメタルを聴いている者にとって、なぜバンドが自然であることがそんなに重要なのかということだ。たしかに俺は自分たちの音楽を書き、自分で楽器を演奏するバンドを聴くことが多いが、音楽が良ければ、なぜ誰が曲を書いたのかでやめてしまうのだ?
俺がたずねている質問は、BABYMETALがメタルではないと考えているメタル・コミュニティーの人間に対してだ。なぜ明らかにメタル・サウンドを持ち、このジャンルを愛している者がメタルではないのだろうか? それが何かをするのが作り物的なかたちであるからなら、なぜそれが大切なんだろうか?
▼元記事
What It Means to be Metal: The Case of BABYMETAL
いよいよヘイターの息の根を止める質問が投げかけられたようだ。
返信削除コメントのやり取りがどんなものになっていくのかな?
引き続き訳出お願いできたらありがたいものです。
METALは既存の音楽をぶっ壊す事を旨として現れたんじゃないのか。それが目的ではないにしてもそのエネルギーがあった。そのMETALが保守に凝り固まってどうする。そんな奴らは時代の流れに溺れて沈んでしまえ!
返信削除結成前はメタル知らなかったって言うんだけどさ、メタラーも最初はメタル知らなかっただろ?そこから何かのきっかけで知ったんだろ?
返信削除彼女たちの場合は、それがさくら学院の部活動だったと言うだけのこと。外的要因だったのがまずいというなら、親や友達が聞いていたから聞き始めたって言うヤツもダメだろう。
しかも、小学生・中学生で、これだけのメタルの洗礼を浴びてるヤツは層多くはないはずだ。それを考えれば、彼女たちってメタラー中のメタラーだよねw
少なくてもメタル(或いはロック)って言うのは既存の価値観へのアンチテーゼという側面があるもので、その音楽を信奉していながら、「メタルとはこうであらねばならぬ」という価値観を押し付けてくるのって滑稽だよね。そういうヤツに、メタルを語る資格はない。実験的な良いメタルの音楽があり、メタルにリスペクトをもって取り組み、紳士に表現している人間を否定することは、音楽への冒涜ですらあると思ってる。
「メタルであるとはどういうことか」
返信削除サウンドがヘビーでメディアに媚びを売らないって考えれば、ベビメタはまさにメタルじゃないか。