2017年7月2日日曜日

[BBC Music] 説明された日本人のガール・バンドに関する妄執

[BBC Music] 説明された日本人のガール・バンドに関する妄執

フレーザー・マカパイン(2017年6月30日(金))




ぱっと見には、日本のポップ・シーンは、不可解かも知れない。その音楽は恐ろしく甘く、ものすごくダイナミックであり、可愛さ、そしてギターを伴った熱の籠もったシンガーや、レイド・バックしたビートに乗せた痛烈なラッパーとは文字通り別世界である日本のカワイイ文化の派生物である。西欧のポップソロ・スターや男性バンドは存在するが、ガール・グループについては特別な文化上の熱狂が存在する。

それはPERFUMEやももいろクローバーZのような比較的小さなユニットから、メンバーが130名を数え、日本で最も売れているグループと言うだけでなく、世界最大のポップ・バンドであるAKB48のような、その数が観客よりも多くなるリスクのある多数のシンガーを持つバンドまである。

東アジア文化は伝統的に、個人主義よりもチームワークと調和に重きを置くため(東西では非常に違った形で考えるのだ)、グループや集団の方が、ソロ・アーティストよりも、日本では一般に人気がある。AKB48の場合、バンドに加わるための競争は厳しいだけでなく、「X Factor」が比較すれば、おとなしく落ち着いたものに思えるような緊張感のある壮大なショートしてテレビ放送される。

BBCの日本シーズンの一環として、ストーリーヴィルが、野心あるパフォーマーであるリオと、リオ・ブラザーズを名乗る、その熱心なファンたちを通して、Jポップを支配するようになったアイドルグループ現象を探求する、三宅響子監督のドキュメンタリー、「Tokyo Girls」を上映する。

リオのファンは、主に成人男性で、中には40代半ばの者もおり、自分たちのことをオタクと呼んでいる。オタクというのは、執着するあまり、社会的に交わる能力をそこなってしまうような、ポップ文化の特定のアイテムにとりつかれた人物を指し、ナードやギークに当たる。オタクは、十代のジャスティン・ビーバー・マニアのような情熱や献身を示し、場合により、職業を捨てて、貯金のすべてをお気に入りのパフォーマーを追いかけるために使う。

これは決して孤立した状況ではない。Jポップは日本文化で非常に人気があるが、アイドルファンは英国のポップ・ファンとはまったく異なった社会的集団である。女性よりも男性が多く、年齢も高い。従って、ある年齢の日本音楽ファンの一部が、RADIOHEADの音楽を苦労して再現するためにその時間を送っている一方で、他の物はポップ・アイドルのために完璧なキラキラしたプレゼントを作るために工芸机の上で体をかがめているのだ。

概して、アイドル・シンガーは、大人の問題とはまったく縁のない、元気いっぱいの快活な女学生のファンタジー版として示される。Jポップの感受性をヘビーメタルに応用しているバンド、BABYMETALでさえ、悪魔やセックスについてではなく、チョコレートやダンスについてずっと多く歌っている。

このドキュメンタリーが説明するように、選べるパフォーマーの数は多く、現在日本でアイドルとして活動している十代の女の子は1万人以上を数える。アイドルは、アイドル・カフェと呼ばれるカラオケ・バーのような小さな会場で、ライブのウェブカムショーを行っている。東京の秋葉原地区は、年間10億円とされるビジネスで、アイドル活動のハブとなっている。

文化評論家、中森明夫によれば、なぜこのような男性が自分の時間と関心をアイドル・パフォーマーに捧げるのかについては、明確で、驚くべき経済的理由があり、これは日本の景気後退に関係するという。「1970年代のロンドンと今日の日本の間には相似するものが存在する。経済は停滞し、文化シーンは死んでいる。人々は何か新しいものを求めている。ロンドンがセックス・ピストルズを生み出した。日本の回答はアイドル文化だ」

従ってどちらもカウンターカルチャー的だ。多くの西欧のポップ音楽同様に、ファンは体制――一般には資本家――に対してアイドルと共に結びついていることを語る。だが注目に値するのは、日本育ちの日本音楽は、(比較的ごく最近になって、不況だと理解されるようになった国にとっては無理がある)グランジ段階のようなものには入っていない。パンク・ロックのようなジャンルに辛い感情を伝える代わりに、アイドル文化は逃避主義をアップビートなカワイイ・ファンタジーへと転じる。

パフォーマーとファンの間のインタラクションには独自のエチケットが存在し、厳密に守られるパラメータと期待を伴っている。毎回CD代10ドルが必要となる交流イベントやお気に入りと握手して写真を撮影するチャンスのために、一ヶ月に何万円と費やすことをどうとも思わないファンがいる。そして魅力の一つは、こうしたパフォーマーが手に届くということだ。

アイドル現象には、予想外の副作用がある。すなわち、厳しいスケジュールで働かなければならない女性アイドルが、日本文化では比較的新しいステータスを得てきたという点だ。ジャーナリストの北原みのりは、「アイドル文化では、女性がスターです。日本文化では、私たち女性が原動力となっている場所は、他にありません」

ただし、このブレイクスルーは、アイドル・ファンタジーの世界の厳しいパラメーターの中だけに存在する。2013年に、AKB48のYouTubeチャンネルに、ボーイフレンドと一夜を過ごしたことに対するお詫びとして、公衆の面前で辱めを受けるために、髪を剃り、すすりなく峯岸みなみのビデオが登場した。

西欧のボーイバンドとそのファンである若い女性のステロタイプと逆に似通ったところがある。要は、ボーイバンドのスターは、若すぎて本物を体験することに臆病となっているファンにとって、ロマンスの代用品なのだ。そして、この大まかな説明に真実の種があるとすれば、同じようなことが、例えば、リオ・ブラザーズについても言えるが、ただし、本当のロマンスが期待するには難題過ぎたり、妥協が過ぎたり、あるいは単に不可能な目標であるような男性が対象となっている。

だからアイドル・パフォーマーは、オタクに、楽しみや楽観主義が当たり前のように感じさせ、わびしく、気を動転させかねない現実よりも、自分たちが何を期待できるかはっきり分かっているファンダムのファンタジーの世界に逃れることを選ぶのだ。P.IDLシンガー、ユカのファンであるミタッチが説明するように、「ユカに会ってからデートをやめたんだ……現実では彼女と何も起こらないことが分かる程度には僕は理性的だからね」

▼元記事
The Japanese obsession with girl bands - explained




7 件のコメント:

  1. >>「アイドル文化では、女性がスターです。日本文化では、私たち女性が原動力となっている場所は、他にありません」

    およ?

    返信削除
  2. 要約すれば、疑似恋愛させて金を巻き上げるシステムって事だよね

    返信削除
  3. 未成年に気持ち悪いおっさんと握手させて金を巻き上げるシステムとも言う

    返信削除
  4. ひと昔前なら今村昌平あたりの映画作家が作品をとおして問題提起している対象だと思う。

    返信削除
  5. それを異常と思わなくなってる日本社会つーことか
    で、アミューズだかコバかはそれを異常と思ってるのかも知れないな
    業界の中で出来る精一杯のホワイト化をパフュームで始めその先がベビメタってとこかね

    返信削除
  6. 偏見だらけの文章に見える。自分たちの文化がまともで、日本のあり方が妄執だというような上から目線は吐き気をもよおすね。心が狭いだけだろう。

    返信削除
  7. ジャーナリストの北原みのり?ジャーナリスト?
    ガチガチの反日活動のバイブ屋だろ

    返信削除