2016年5月21日土曜日

[Appears] ちょっとした運、でもほとんどは努力

ちょっとした運、でもほとんどは努力:BABYMETALの奇妙さと魅力

appearsdx(2016年4月28日)




マーティ・フリードマンは正しくもあり、間違ってもいる。Jポップのアイドルはものすごいし、マーティは「僕が日本から紹介したものはすべて、日本の外でも成功するし、それもまもなくだ。僕はまだそうなっていないことに驚く。僕は今年、あるいは来年、何かが爆発するということを言っている。なぜならばこれはあまりに良いものだからだ」と感激しながら、この点を強調した。4年後、私たちは音楽の風景に小さな、ほとんど気付かないような亀裂を観ている。PERFUMEが欧州と北米のツアーを成功させており、行き先に主要な都市を加えている一方、メタル・アイドル、BABYMETALは、日本好きの観客ばかりでなく、常に新しく違ったものを探している好奇心に満ちたヒップスターの両方の要求を満たしている。後者については、今週のニューヨーカーに掲載された、マシュー・トランメルによる十代の流行の発信者に関する記事、「Teanage Dream」に登場したことを挙げれば十分だろう。

「続けざまの反逆、ロマンティックなのぼせ上がり、そして気後れしない実験主義によって、この十代の連中は、ポップの中核となる挑発を再生することが得意であることを証明して見せた。その間、技術によって、マネージャーやレコード・レーベルの導きの有無にかかわらず、十代が自分の美学をメインストリームに注ぎ込むことが容易になった。」(70)

最後の点はいきすぎで、簡単に説明されているこのようなアーティスト(ラッパーのノベリストやコダック・ブラック、ピアノの達人ジョーイ・アレキサンダー、ポップ・スターのラプスリーなど)は、「メインストリーム」の成功などは達成しているとは考えられないが、絶対的な成功であることを主張しなければ、ニューヨーカーがニューヨーカーでなくなってしまう。タイム誌の2001年秋の特別号は、宇多田ヒカル(ちなみに彼女はフォキシー・ブラウンやTHE NEPTUNESと一緒にアメリカ・デビューに取り組み、とても若くして(28歳くらい)引退し、おそらく神経科学者になることを計画している)をフィーチャーしており、このような記事は、何かしらの現象の始まりというより、上述のアーティストの西欧における露出のピークとなる傾向があるが、BABYMETALは相対的に大きなスペースを得ている。トランメルは書いている。

「曲は中毒性はあるが、BABYMETALの最も優れた財産は、他にない、Jポップの演劇的な壮観さとメタルの原始的な精神の組み合わせである。それぞれのジャンルにこだわる者はファンになる。BABYMETALは日本で大成功を収め、その名声は米国、そしてロンドンでも高まっている。…BABYMETALの劇は、最高のポップスのように、すぐにそれと分かるし、とても新しい。(78)

これは疑いもなく西洋的な説明だ。事実、Jポップのファンにとって、若い十代の女の子が聞いたこともない、あるいは率直に嫌いなジャンルで踊ったり歌ったりしていることは、別に新しくもないし、BABYMETAL以前の日本のアイドル・グループがそれ以上にうまくやれたかどうかは議論があるだろうが、行われてきた。「とても新しい」という見方は、メタルが主に男性の領域のままであるアメリカン・ポップにとって新しいだけだ。男性オタク(ええと、最も重要な連中)、そしてその懐疑的な友人たちに対して、より早くアイドルを売りつける素晴らしい方法が、意思の合致によって特定されるまでは、このこともまた、日本でも同じだった。伝統的に「男性的な」ジャンルで、若い女性アイドルを代弁者にすることにより、攻撃的なメタル・ソングを歌う十代の女の子たちの不調和な魅力と未探求の並置を創り出し、おおっぴらに夢中になれる何かでファンの財布を誘惑したのだ。このことで、アイドル・ビジネスはさらにメインストリームな売上への道を開いた。音楽がソフト・ロックやバブルガム・ポップでないという理由で、突然、ポスターやフォトカードを集めたり、握手会に出席したり、アイドルを観るためにコンサートに行くことが、若い男性にとっても、より年長の男性にとっても、少しばかりおかしなことではなくなった。この音楽はヘビーで本物であり、尊敬に値し、計り知れない技能と才能を持つ、ジャンルの真の名人たちによって作曲されているからだ。このジャンル(ここではすべてに対して包括的なアンブレラ・チームとしてのアイドル・ポップ)にはいつも男女のファンがいたが、女性ファンは部外者という傾向がある。女性アイドル、特にどんどんエッジが効いたものとなるハード・ロックやメタル音楽のフロントを務める女性がいる場合、男性のオーディエンス、特に関連するマーチャンダイズの販売についていくだけの購買力がある年上の男性オーディエンスに対して娯楽を提供している。女性ファンは、いわばおまけのような利益であり、歓迎されるべき副産物だが、対象ではまずなく、だからこそ通常は、a)男性の関心、特に市場が飽和化するにつけ、ももいろクローバーZのようなスーパーニッチな関心を対象とするか、b) 少年や男たちが女の子たちが考えたり、話したり、白昼夢を見たりするようなものを対象とする歌詞の内容が多いことになる。

少女や女性を対象にマーケティングされている実際の女性アイドル・グループはほとんど存在せず、その多くは、E-GIRLSやFAIRIESのようにガール・グループあるいはダンス・グループといった表現を好む、より幅広い定義にあるもので、純粋なアイドルではない。女性ファンは、この種の女性が一般に好むと思われている、若い少年や男性がよりソフトで、心のこもった、甘ったるいポップ・ミュージックをリリースするジャニーズのアイドルの方向へとおびき寄せられている。例えば、撮影会は危険がなく、可愛らしく、抱きしめたくなるようなものとして男性アイドルを示し、そのシングルやアルバムがこのことを強調する。Da-iCEやCHOSHINSEIのような新しいKポップの模倣者の一団が、アイドル少年グループに予想される概念を再定義しようと試みてはいるが、むしろ例外であり、数の上ではとても売れているライバルたちに圧倒されている。EXILE、KET-TUNや最近ではNEWSのようなグループであっても、最も攻撃的な場合でもヘビーなダンスポップを好む。これも批評の世界では伝統的に過小評価されてきたジャンルだ。

多くの意味で、これは日本のアイドルのマーケティングと配給を構成する驚くべきジェンダーに関する二進法のしるしである。音楽自体の目的としては、巨大な男性オーディエンスを構成するジャンル(ハード・ロック、メタル)は、正当であり批評的な関心を集めるに値しうるが、女性が楽しんでいるものは、誰も真面目に受け止めることがない簡単な仕事と考えられている。この考えの下では、BABYMETALのようなグループが、一定のアメリカのサブカルチャーのサークルの中で成功できたことは驚きではないし、西欧メディアの記事が、BABYMETALのマテリアルはメタル・ジャンルのベテラン(奈良崎伸毅、ハーマン・リ、サム・トットマン、上田剛士など)によって作曲されていること、あるいは女の子たち自身がMETALLICAからSLAYERまでのメンバーから影響を受け、あるいは評価されていることを常に読者に想い出させることで、その関心を正当化する必要を感じている。そうでないものはほとんどなく、多くの意味で、こうした人々はBABYMETALの存在を正当化することに貢献している。このような但し書きのもとで、たとえジミ・ヘンドリックスが死から復活して曲を書いてくれたとしても、アメリカで(自分で曲を書いたり、楽器を演奏したりしない)日本の同様の男性グループや少年バンドが成功を収めることを想像するのは難しい。音楽にとってミューズであったり、見栄えが良かったりするのであれば、女性にとっては、好ましくないとしても、受け入れられるものであるように思えることから、PERFUMEのようなグループは、プロデューサーの中田ヤスタカを理由として多くの高い評価を得ることができるが、Kポップ・グループ、BIG BANGのGドラゴンのように、自分たちの音楽やイメージをよりコントロールしていない限り、ブレイクできないように思える少年バンドにとって、その逆はない。

ちょっと批評的な音楽の世界におけるジェンダーの分類を脇にのけると、BABYMETALに関する記事をまとめているライターは賞賛に値するだろう。なぜなら、インタビューほど彼女たちのアイドルらしさを示すものはないからで、用意された逃げ口上やリハーサルされたつまらない話が最大の関心事だからだ。自分たちのファンが世界中に広がっていることについてたずねられた菊地最愛は、「誰もが音楽が好きです。音楽は世界の共通言語だと思います。音楽はあらゆる人々にとって素晴らしい結びつきで、音楽はみんなを一つにします」と答えている。これは成熟したパフォーマーの洞察とはまず思えないが、このことはティーンエイジャー、そして日本人の十代としてのBABYMETALの独自の見方について語っており、そのことに彼女たちは誇りを持っている。(水野由結:「BABYMETALの音楽は、ハードな音楽とメタル音楽と日本のポップとサウンドを一緒にしたものです。私たちが日本人でなければ、まったく違ったファンを持つまったく違ったバンドになっていたでしょう」)

マーティ・フリードマンは、日本のポップ・ミュージックは、「運が良い」時だけ、国外のオーディエンスに広がる「タイミング」といったその他の要素は計画できないと考えているが、BABYMETALはゆっくりと、方法論に従って今日性に到っており、その中にはパリ、ニューヨーク、英国でのショー、そして2014年に始まったレディー・ガガのアートレイヴ:アートポップ・ボール・ツアーが含まれている。Noiseyは、同年に短い紹介を行い、Pitchforkのジェイク・クリーランドは2010年から2014年の間のお気に入りの曲の一つとして"ギミチョコ!!"を選んだ。詰まるところ、BABYMETALは伝統的なアイドル・グループ、さくら学院の派生ユニットとしてもともと思いついかれたBABYMETALは、それ自体としてよくやったのであって、運とかタイミングのおかげではない。

事実、BABYMETALのようなアイドル・グループは日本で成功しており、その多くは、日本のアイドルの多くが単に気にしないか、相手にしないような注目と敬意を集めているこのグループよりもずっと優れている。特にPASSPO☆は、とりわけ伝説の「One World」や昨年の「Beef or Chicken?」で、最高品質と多様性をいくつか備えたハード・ロックやメタルを示した。他の例としては、BAND-MAID、ももいろクローバーZ、そしてBiSHがあり、いずれもアメリカではニッチすぎると考えられるだろう。(様々な文脈や説明が確かに必要になるだろう。)

そう述べた上で、まれに文脈を音楽が超越することができる。BABYMETALの素晴らしい新譜、「Metal Resistance」のように。このアルバムは、本当にエピックで驚愕のリスクをいくつか取り、うまくやってのけている。特に先行シングルの"Karate"やほとんどがインストの"From Dusk Till’ Dawn"がそうだ。青木竜太郎がそのレビューで指摘しているように、このアルバムは「1980年のヘア・メタルやシンフォニック・メタルへの会釈であり、たぶんメタルのより先進のサブジャンルよりJポップとミックスするのに向いて」いて、「アイドル音楽の厄介さ」を満たす。「何が好きなのかが分かっていて、正確にその気にいる形で確信を持って作っている」のだ。流行が起こっては消える国で、その新規さをBABYMETALがどこまで維持できるのかを見るのは興味深い。日本のポップ文化が真面目に取られることはめったになく、大多数の反応は一緒に笑おうより笑ってやろうの方だからだ。(公平を期すために、インスピレーションを流行のKポップに求めたとしても、国内のガール・グループだからといって簡単だというわけではないが、FIFTH HARMONYとLITTLE MIXはやろうとしている。)BABYMETALをスティーヴン・コルベアで見ることはとてもエキサイティングだったが、レイト・ナイト・ショーに出演することは何の前兆にもならない。少女時代にたずねればいい。ゴールはいつだって、世界の他の場所から来た音楽が評価され、そのままに、そしてその試みるがままに楽しまれることであって、どのオーディエンスの注目を集めているのか、あるいはなぜかに関わらず、前もって決められた、分かりやすい型にはまることではない。そして少なくともその意味では、BABYMETALはアメリカの冷たい心を誇り高く、自分たちの言葉で少しずつ崩している。

▼元記事
https://appears.wordpress.com/2016/04/28/some-luck-but-mostly-effort-the-anomaly-and-allure-of-babymetal/

[長文なので棚上げしていた少し前の記事です。現在はまた状況が変わっていますね]


10 件のコメント:

  1. Kをまぜてくるな!

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    1. おまえの石頭をどうにかしろ(笑)

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    2. ひどいブーメランを見た。

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  2. KPOPはビジネス側からの俯瞰としての『アメリカの冷たい心』を象徴しているっていう行間読みも出来きそうな。「アジアへの冷たい視線」とも言える。通貨危機以降、韓国の主要企業の株主の多くは欧米系で、彼らはそれを「冷凍食品を売るように」運用してきた。日本の音楽はそういう商慣行の圏外からやってくる事が多いので、特に米メディアは正に「虚を突かれていて」それを恥ずかしげも無く、ある種の自嘲も込めて?こういうような面倒くさい記事にしている。ま、それも彼らの批評文化の一つだと思うのでほっとけばいいとも思う。毒舌で恐縮。

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  3. 「誰もが音楽が好きです。音楽は世界の共通言語だと思います。音楽はあらゆる人々にとって素晴らしい結びつきで、音楽はみんなを一つにします」
    これは成熟したパフォーマーの洞察とはまず思えないが

    いやぁ実は、マイケルジャクソンもまったく同じ主張をしてるんだよなぁ
    シンプルでこの上ないある意味洞察のある発言だと思うよ

    「ゴールはいつだって、世界の他の場所から来た音楽が評価され、
    そのままに、そしてその試みるがままに楽しまれることであって」

    「BABYMETALはアメリカの冷たい心を誇り高く、自分たちの言葉で少しずつ崩している。」

    長い文章だけど要約するとこの二行でまとまるね

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  4. コバ氏がインタヴューで、状況に応じた戦略は採っているが長期的なものはないと語ってように思う。芸能は水物的な考えを変えようとしたのがAKB戦略なのだろうが、
    ベビメタにはそのような発想は元からなかった。
    だから、自由な実験ができたのだろう。
    米国のエンタメ界の岩盤の上で踊るポップスなら、上から目線の余裕が持てるが、ベビメタが岩盤に穿を空けるかもしれないとう認識は、この人にはある。

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  5. こういう事実と誤認が混ぜられた記事というのはなあ…
    正確な言及もあれば、ところどころ明らかにバイアスが掛かっていることに顔をしかめてしまう
    まあ当たり前だが、こういうのはやはり国内外でも変わらないんだな、と思う

    日本のアイドル文化に言及してながらも、一般化させる結論に向かうためにBABYMETALの他アイドルとの戦略的な差異に言及しないということに作為を感じざるを得ない

    特に後に握手に言及しつつ、「BABYMETALは握手をしない」ということを半ば無視しているというのはね

    Kとの文脈を混同させ過ぎて、抽象化が酷く、諸々の事実が抜け落ちてる

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    1. 欧米の評論家に多くは期待できない。この程度がJやKに通じている人なのだろう。日本の洋楽専門家も、外から見ると同じかも。

      賛否はあれミュージシャンは創作家である分、余計なことに触れないので気持ちいが良い。
      評価が高くなると音楽の本質をはなれ商業戦略らしいものが花ざかりだが、優れた記事を読みたいとは思う。

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  6. 翻訳ありがとう。このブログで、初めて意味がわからなかった記事です。原文を読めば良いのかも知れませんね。

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  7. [BABYMETALの最も優れた財産は、Jポップの演劇的な壮観さとメタルの原始的な精神の組み合わせである]

    文章全体の評価は自分との評価とは大分違っているところもあったが、自分もBMはメタル音楽を使った歌劇集団だと思っているので上記文章に限ってはうなずけた。

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