2017年1月15日日曜日

[Skopemag] 東京コーリング:BABYMETAL。何だ?(パート1)

東京コーリング:BABYMETAL。何だ?(パート1)

スコープ(2017年1月5日)



メイプル味のソーセージ。

これだ。見つけるのに学位取得なみの調査が必要だったが、あれが答えだ。カナダ人として、この共通点がないように思える香りの組み合わせは、ほぼ敬虔といえるほどのステータスを持っている。トリュフ、キャビア、5,000円のメロン、取っておけ—誰が必要というんだ? そして私たちがこの道を進む中、ハムとパイナップルを追加して、ハワイ風ピザを注文してくれ! ああ、その通り、そういった! そのことで問題あるか? 君は……ふむ、待ってくれ、実際の質問を空かすのを忘れていたよね:

質問:「なぜBABYMETALが好きなのか?」

答:「メイプル味のソーセージだから」

待ってくれ—それで?

最初に私のレーダーにBABYMETALが登場したのは、コンビニ雑誌の表紙に飾られていた時だ。日本の「ビジュアル系」と「アイドル・グループ」のジャンルの長い歴史を考えれば、私の最初の反応は(せいぜい)一瞬の興味、それから当惑した疑り深さ……わたしはソーシャル・メディアにこのカバーの写真をポストし、何か「何じゃこりゃ? BABYMETAL?! 日本よ、お前は狂ってる」みたいなキャプションを付けたと思う。それで終わりだった。

それから何ヶ月してから、YouTubeの待ち伏せ……

クリック

オープニングのグランジ風のメタル・ギターの段幕で、私は不意打ちを受け、すぐに抵抗する振りはやめて、何十年にもわたるヘビー・メタル体験(私の人生で最高の音楽的な記憶の一部だ)を横に置き、アドレナリンの洪水を能に注入した。それからエンドルフィンが来た。麻酔のようなポップ・メロディーのコーラス(おかしなチョコについて歌っている、チョコレートだ)を伴った素早いテンポの変化、そして私の脳は非現実的なめまいとハイパーアクティブなエネルギーのカクテルへと溶けてしまった……。

なんてこった! フック、ライン、そしてシンカー。

BABYMETAL: "ギミチョコ!!"

["ギミチョコ!!"ビデオへのリンク]

この記事の最初に伝道したカナダのごちそうのように、BABYMETALの出現は、絶対にうまく行くはずがないのに、当時は私の愚かな人としての精神では完全に理解出来なかった、量子レベルで結び付いたような、対照的な領域の巧妙な配置によって、それが完璧な組み合わせとなるというまれなる瞬間の一つだった。最終的に、私のファンぶりが高まって、最終的にこのありえない(いや、不可能な)ハイブリッドが、どうしてこのような完璧な結合を達成したのかを理解した。単純すぎて簡単に見逃してしまうようなものでありながら、人を誤らせるほどパワフルな要素……

誠意だ。

私の疑念が確認される以前に、「コバメタル」(BABYMETALの背後にいる暗号名による、狂った天才プロデューサー)は、合成して創り出そうとして選んだジャンルに対する、より深い知識、経緯、そして愛情を持っていることは明らかであるように思えた。これがメタル・リフとパーカッションのテクニックやヘビーネスであれ、ポップ・ボーカル・コーラスのすぐに頭に残るメロディアスなフックであれ、彼が個人的に注ぎ込んだものであり、それは音楽を通じてやってくる。この組み合わされた本気さが、(自ら認める)その真の目標へと向けられる。それは、何かオリジナルであるばかりでなく、長続きするものだ。

日本のポップだけの宿命ではないが、不誠実さが音楽に生み出すような、簡単に忘れられ得る性質というものがある……一握りのメガグループがJポップを支配しているが、それ以外の多くは、相対的な無名性の霧の中に見失われてしまい、そのメンバーは二軍チーム・レベルの名声以上のものを得ることはない。実際(まだ知らなければ)、BABYMETALの3人のフロントウーマンは、そういったグループの一つにいた。あまりに目立たない(私の意見だ、錯乱しないでくれ)のでさくら学院と名付けられたグループだ。もし君が日本文化を良く知らないなら、さくら学院という名前は文句なく、アイドル・グループとしては最も些末で、目立たず、安直な名前であり、そうあるべきアイコン的なブランドというよりも、不可視性の仮面として機能する。(OK。さくら学院のバッシングはここまでにしよう。わざわざ長くしてまで不機嫌ではいたくないし、実際、さくら学院や同類のグループに対して悪意があるわけではない。実際、その逆だ—私はこういったグループが、何かもっとオリジナルで示唆に富むものになる機会を持てれば良いのにと願っている。)

エピックな規模のシンデレラ・ストーリー

最初に選ばれたとき、さくら学院のサイド・プロジェクトが自分たちをどこに連れて行くことになるのか、3人の女の子(スゥメタルこと中元すず香、ユイメタルこと水野由結、そしてモアメタルこと菊地最愛)が知りようもなかったろう。たぶん夢で見ることしかなかった(でもさもなければ決して手が届くことがなかったろう)有名人が、左翼の一番遠くから彼女たちの元にやってきた。ほんの数年後には、彼女たちはレディー・ガガ、スクリレックス、そして数多くのヘビー・メタルの神々たちと付き合うようになった。高い露出度で、世界の音楽地図を、日本の音楽のこのまったくオリジナルなジャンルで飾り、意識せずに突然その大使となることはいうに及ばずだ。彼女たちは最初の予想外の成功のパンチをとっくに克服していると思うが、最初の数年間、信じられない状態で頭をくらくらさせながら過ごしたとしか思えない。妖精のゴッドマザー、カボチャの馬車、そして靴フェチの王子様? そうじゃない、フォックス・ゴッド、亡霊のバンド、そして国際的なファンの群れだ。

適応、実験、そして進化の名手

BABYMETALの今では長調的になった面の一つが、自身のキツネ・サインを伴ったフォックス・ゴッドの代理としてのアイデンティティーだ。あのサイン? 無知による間違いが、グループにとっての一体化のアイデンティティーへと素晴らしく変わっただけのことだ。リード・シンガーのスゥメタルは何度か、伝統的なヘビー・メタルの「デビル・ホーン」サインが、日本独自のキツネを示すための手振りだと見間違え、無意識にこの間違ったサインを使うようになったことを認めている。まもなく、プロデューサーのコバメタルがこれを取り上げて、これに合わせて、今ではBABYMETALの代名詞となっているすべてを内包するフォックス・ゴッド神話を創り上げた。

この冒険感覚は、その具体的なサウンドや(一部が議論するような)その欠如に大きな役割を果たしている。すべてが同じ、甘じょっぱい、ポップなボーカルと融合したメタルという基礎の上に建てられているが、作曲家たちは、本当に多くの異なったジャンルのスタイルで楽しそうに遊んでいるので、アルバムのそれぞれの曲は、しばしば前後の曲とものすごく違って聞こえる。より一貫性のある体験を重視する者は、このことによってしらけるだろうし、私は彼らを責めようとは思わない。どちらのアルバムにも、聴くよりはスキップするだろう曲があるが、それでさえも、良くできた曲であり、単に私の好みでないということが分かる。それでも、私は何でも試そうと思うし、敬意、元気、そして、そう誠意を持ってそうしたい。(私の個人的な、最もスキップする曲は、ファーストの"ド・キ・ド・キ☆モーニング"と「Metal Resistance」の"No Rain No Rainbow"だ。)

BABYMETAL: レジスタンスの終わり

["Road of Resistance"ビデオへのリンク]

パートIIは近日公開!

▼元記事
TOKYO CALLING: BABYMETAL. What?! (Part I)


6 件のコメント:

  1. たしかに。面白い!

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  2. そう、たしかに面白い!!

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  3. いいね!いいよー!

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  4. そう、誠意だ
    メタルに対する真摯な想いだ
    それこそが核心だ

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  5. ドキモを飛ばすってのが興味深い。
    ベビメタが好きなら普通に刺さりそうな気がするけどな。ポップ過ぎるってことかな。

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