RED HOT CHILI PEPPERSが秘密を漏らす
デビッド・メンコーニ(2017年4月16日)
土曜の夜にPNCアリーナで照明が落ちると、RED HOT CHILI PEPPERSのヘッドライナー・セットが、オフステージからの即興のサックスの音で始まった。それからドラマーのチャド・スミス、ギタリストのジョッシュ・クリングホファー、そしてベーシストのマイケル・フリー・バルザリーが登場して、楽器を演奏し始め、しばらくジャムしていた。その後で、ようやくベース・ソロで始まり、ドラム・ソロで終わる曲を演奏し始めた。
このすべてが語っていたこと:君の望みがボーカル・アートなら、これは君向けのコンサートではなかったかも知れない。
だからといって、いったん登場してしまえば、フロントマンのアンソニー・キーディスの役割がこの展開の中で小さかったわけではなく、実際は大きかった。それでも、後になって記憶に残っているイメージは、フリー、スミス、そしてクリングホファーのトリオが演奏し続ける中、キーディスが、落ち着きなくステージを歩き回っていたことだ。
3人のRED HOT CHILI PEPPERSの楽器担当がものすごいミュージシャンであることは良かったが、いつもの狂ったような水準から考えると、かなり抑制の効いたものであるように感じられた。だがたとえショーが本当に燃え上がることはなかったにせよ、グルーヴに乗っているだけで、誰もが満足しているように思えた。
たぶん、この抑えられたトーンは死者の記憶のせいだろう。バンドは、いなくなった友や仲間たちにトリビュートを捧げ、曲の間にデイヴ・チャペルの相棒、チャーリー・マーフィーや「ピストル・ピート」マラビッチ(1965年にローリーのブロートン高校を卒業した今は亡き素晴らしいバスケット・ボールのスター)のことを叫んでいたからだ。ギタリストのクリングホファーは、昨年亡くなったPEARL JAMの元ローディー、ティム・クインランを記念して、「スカリー」Tシャツを着ていた。
90分のセットで、RED HOT CHILI PEPPERSは昨年の「The Getaway」アルバムからかなりの曲を演奏し、当然のアンコールのクロージング曲、"Give It Away"へと向かっていった。1992年のブレイクスルーで現在までバンド最大のヒット曲である、"Under the Bridge"を含む多くの有名な曲は避けた。
ほぼソールドアウトとなった観客でのほとんどが、演奏されなかった曲に気付くことすらなかったようだ。交互に脈動したり、海の波か鳥の群れのように引いたり、寄せたりする、頭上の移動式のとてもクールな照明のバンクを含め、聞くばかりでなく、見るべきものがたくさんあった。
土曜の夜の前座は、1983年にRED HOT CHILI PEPPERSが最初に結成された時のオリジナル・ドラマー、ジャック・アイコンズだった。アイロンズは、テープをバッキングに、自然、惑星、「不思議の国のアリス」などのようなサイケディックなシーンのビデオを伴って、ソロ・ドラムを演奏した。これは心地よいアンビエントな20分だった。
それからBABYMETALによるショーをかっさらう番がやってきた。若い日本人のシンガー/ダンサーのトリオはゴシックのチアリーダーという風情で、時に着物や仮面を投げて演奏した。亡霊のように白いペイントをした、白衣のカルテットのメタリックな演奏をバックに、彼女たちは息を呑むようなペースの30分を披露した。ポップ・メタルのリフや正確な振り付けの中で、彼女たちは気分がわくわくするほど、可愛く、そして奇妙だった。
▼元記事
Red Hot Chili Peppers give it away
いつもありがとうございます。
返信削除The News & Observerのツイッター見出しも「BABYMETALがもっていった」となっていますね。
ちょっと褒め過ぎな気もしますが、こういう評価を読んで一番喜ぶのは前座起用を決めたRHCPの面々でしょうね。
.@ChiliPeppers played @PNCArena Saturday night, and it was very good, but @BABYMETAL_JAPAN stole the show
https://twitter.com/newsobserver/status/853771248995794944
誉めてるなー
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