[Reddit] ロサンゼルスへの旅―パラディアム・ショー(ウォール・オブ・テキスト)(その1)
pepcok(2017年6月22日)
LAへの旅はすごかった! BABYMETALファンはすごかった! BABYMETALのショーはすごい以上だった! ユイメタルはベスト・メタルだ!
Facu474と彼の東京ドームのウォール・オブ・テキストに刺激されてこれをまとめた。俺の戯言やBMに関係ない部分を読みたくなければ、「さて、面白い部分はここからだ」で始まるところまでスキップしてくれ。それ以外は、リンクや写真をいくつか伴った個人的な感情の山だ。警告したからな :)
RESを使って、クリックして自動的に画像が開くようにしてくれ。
すべてはSho-taBlue(以下のテキストではマコト)が「これは君の誕生日プレゼントだが、個人的にLAで拾ってくれ」と言うような意味の何かを話し、BABYMETALのフンコ・ポップにぴったり合う、小さなゴジラのキーチェインを見せてくれたところから始まった。その前は、LAに行くつもりはなかったんだ。人生で現在起こっていることを考えて、BABYMETALを生で見る次のチャンスまで待つつもりだったからね。でも、こんな誕生祝いを受け取らない奴がいると思うか? マジな話、マコトと彼の素敵な奥さんのマサミ(以下のテキストではM&Mと呼ぼう)は、俺が飛行機の切符を買った理由の8割で、残り2割は同時にLAでたまたま演奏することになっていた日本のバンドのおけげだ。俺に行くように説得してくれたM&Mには感謝してもしきれない。みんな、そして起こったすべてのことのおかげで、忘れられない経験になったからね。
LAへの旅(電車で3時間、飛行機でロンドン・ヒースローまで2時間、それからロスまで飛行機で11時間)は、一つの例外――晴天のロンドン(何だって? 晴れたロンドン?)に到着すると、ヒースローからのメッセージが俺の携帯に届いて、「悪いな、ターミナル5からターミナル3に荷物を移送する上で問題がある。俺たちの幸運を祈ってくれ。すぐに祈り始めた方がいいぜ」というんだ――を除いてたいした波乱もなかった。その時はまだあまり心配していなかったが数分ごとに状況をチェックして、離陸直前になっても、英国航空のウェブページで問題がまだ解決していなかったのでようやく心配し始めた。パイロットは、「少し遅れていますが、荷物は届いている途中です」とアナウンスしてみんなを落ち着かせようとしたが、うまく行かず、俺は不安になった……今回はチェックインしたバッグが一つあった。というのはラッフル・ティー、ちょっとした食べ物のお土産、列にならぶ仲間のためのステッカー、それから機内持ち込み荷物として認められない大きさのものを含む、LAで仲間に持ってくもののせいでね。
飛行時間11時間を経て、俺たちはようやくロスに到着した。入国の行列はひどかった。BABYMETALの列と違って、たいくつだったからね。まず自動化された入国手続き(質問、指紋、写真)を待ったあげくに、「通過不許可」のプリントアウトが出てきた。それから次の(ずっと長い)人間の入国管理官の列があって、さらなる質問を受け、ようやく米国入りができた。2時間くらい無駄になった。次の遅れが起こったのは、荷物を待っている時だった。ロスに着いていなかったんだ。だから同じフライトで到着して、荷物が見つからなかった山のような人たちと別の列で待たなければならなかった。英国航空が必要な費用のために45ドルのクレジットをくれたんだが、俺のAirBnBのホストは、後でこれはとても笑えると考えたらしい。というのは「ハリウッドでは、45ドルで買えるものはそんなにない」と言っていたからね :D 俺は連絡先について英国航空と空港のスタッフに細かいことを全部教え、連中は荷物は次のフライトに乗せられ、同じ晩に通関して、翌朝には俺のところに届くはずだと言った。何てことだ、連中は間違っていた。
空港でraresparkとspykehと会い、ハリウッドに一緒に行くという予定だった。別の案は、ほぼ同じ時間に到着するnabazulとbigimodと一緒に車に乗るということだったが、結局遅れのせいで、どちらの計画もうまく行かなかった。ハリウッドへの直通バスは快適だったし、ロスの交通は絶対的に狂ってるというのが公平なところだ。自動車教習の他に、一分間に10回ホーンを鳴らし、気が狂わずに他の連中が同じことをするのに耐える追加の授業があるに違いない。
15日の晩、M&Mと俺は、ムッソ&フランク・グリルを3名で予約していた。素晴らしいレストランで、食事も美味しく、サービスも良かった。俺が到着すると、レストランのスタッフが、「本日は誕生日の晩でございますね?」とたずねたので、「なんだってえええええ」という感じだった。要は、予約をしたのは俺だったので、誕生日に関することは触れていないという確信があった。後で分かったんだが、M&Mは飛行機の遅れ、それからロスからの交通の関係で少し遅れたので、一人でしばらく時間を過ごすことになり、二人が到着するまでビールを飲んでいた。何度もたずねたが、マサミは俺がロスにくるというのをまったく知らなくて、マコトが勇敢にも、ほとんど2ヶ月この情報を彼女から隠していたので、俺がテーブルについているのをみて彼女は本当にびっくりしたんだ :) 俺がどれだけ二人が好きで、二人の友人であることがどれだけラッキーなのかを十分に語ることはできない。マサミは昨年の9月からちゃんとした英語のクラスを取っていて、東京でかわした最後の会話、彼女が日本語を話し、俺が英語で返事して、二人のどちらも相手が何を話しているのか分からなかったという状況を思い出せば、俺は本当に、同時にびっくりし、感心し、幸せで、当惑もしていた。俺の日本語が彼女の英語の半分もうまかったらなあと願いながら。誕生日のことも説明があった。マコトは前日、レストランにメールして、誕生日が二つ重なってる(マサミと俺の)と伝えたんだ。でも結局、レストランのスタッフから特別な何かがあったわけではなかった。たぶん、最初に俺がとても混乱して、彼らも混乱したからかも知れない。でも、俺たちだけでも完璧にOKだったよ :)
その晩遅くに、俺たちはパラディアムに行き、どれだけの連中が徹夜するのかを見て、挨拶することにした。途中で、俺たちはdaneguyと何人かのアメリカの仲間(ごめん、名前が思い出せないんだ。写真では誰か分かるんだがTrveKitsvneはいたっけ? ああ、俺の記憶力……ありがとう、mav3r1ck92691、彼だった、zeitzeph、それにaaronjb4)。M&Mがダンに、ユイの誕生日のために日本語の「誕生日おめでとう」のテキストを準備するためのアドバイスをして、みんなのおかげで、全体としてとても楽しい会話をハリウッド・ブルーバードですることができた。パラディアムに着くと、かなりの(数十人の)連中がいて、中には知っているのも、知らないのもいた。眠っている者も、起きている者もいた。captain_usernameがTheThrawnのステッカーをくれた :) ありがとう、すごく気に入ったよ! 連中は既にHTWingNutのバッジを身につけていたので、Redditの仲間を見つけることができた。俺たちは1時間ほどいて、何人かと話、youknowmetal(現在プラハに住んでいるんだが、前は米国東海岸に住んでいた)からの挨拶を伝えることができた :) 徹夜して、ナンバリングについての暗黙のルールを守った連中に敬意を。でも俺たちは夜のために去り、眠りに帰った。
翌朝、俺はM&Mをピックアップするためにホテルへ行った。誇り高く前日の午後に英国航空が「提供した」新しい「ミルクを捨てろ、ビールはあるか?」Tシャツを着て……正確にはBABYMETAL関連ではないが、状況を考えるとね。M&Mを待っている間、俺は別の日本から来た素晴らしい奴(K-Metal)に会って、しばらく話して、ツイッターの連絡先を交換した。M&Mが降りてきて、ホテルに来る途中で買ったコーヒーを飲んだ。その時点で、俺はもう大阪の巨大キツネ祭りのThe Oneピット・チケットが手に入ったことが分かっていた(やったね!)だから、俺たちはまたすぐに会うことが分かっていた。楽しいね :) コーヒーとタバコの後で、俺たちは午前10時にパラディアムに一手、GAの行列の番号を手に入れ、必要な休み以外を会場で過ごしに行った。俺たちの番号は、104、105、106で、imboredatworkdamnitのすぐ後だった。おなじみの連中(3つの大陸で3度誰かに会うというのは何かおかしい)、それに新しい連中(HTWingNut、imboredatworkdamnit、KitsuneDa-Oなど)とまた挨拶するのは素晴らしかった。前の写真・ツイートのリストバンドは、NoRad6によるものだ。どうもありがとう!俺たちはツイッターやRedditで知った広島からの連中に何人か会った。誰かが紹介してくれないと、知らない連中に「やあ」と声を掛けるのが苦手なので、結局このサブの仲間にあまり話しかけられず、知っている連中と話していた。……誰かと一緒に落ち着くようになると、俺はこうした連中と時間を過ごすようになる。そういう頭になってるんだ。申し訳ない。でも、将来、新しい仲間と会う機会があると思う。いずれにせよ、しばしば言われるように、BABYMETALのファンは大きな家族で、それは本当だ。(もちろんカイルを除いて:P)行列の誰もがとても親切で親しみやすかった。imboredatworkdamnit—パトリック、マサミに「持ち主のいない椅子」に腰掛けさせてくれた君は本当に紳士だ。みんなお互いに話をし、どのような公式マーチャンダイズよりも貴重なプレゼントを差し出していた。お返しができなくてとても悲しく、当惑していた。俺の小さなプレゼントはどこか分からないところにあるんだ。誰かが気に入ってくれたら、郵送してもいいと思う。KitsuneDa-Oが素晴らしく改造したファンキー・メタル・ベイビーTシャツをくれた。これは後になって貴重だと分かる。HTWingNutが、BABYMETAL化したカードデッキ(他にも)をくれたが、これは最も独創的なBMギフトの一つだ。他の連中は、ステッカー、バッジ、ピン、キャンディー、写真、リストバンドなどを持っていて、全員の名前を挙げることはできないが、この文書でさらに「ありがとう」と言いたい。Redditからの連中、ツイッターからの連中、その他のファングループからの連中がいた。マコト、マサミ、それにマイク(Komebitz)がみんな、俺が昨年の9月に東京で買ったドッグタグを身につけてくれていたのも、俺をハッピーにしてくれたことの一つだ。ありがとう :) かなりの数のコスプレイヤーがいて、コスプレ・オンテストがフェースブックでライブ・ストリーミングされていた(https://www.facebook.com/Stewstokyo/videos/1412531945480262/)。これはとても楽しかった。というのは、もし3人のコスプレイヤーを選んだとして、スゥ、ユイ、モアになる確率はどれくらいだ? ミサト/モア(左だ :P)が優勝した! おめでとう! :) (写真:SnarkyMetal 、HTWingNut)
Mumpaaahの森先生のコスプレに敬意を。君がでかいボトルを持っていたのに良く一日もったな。みんなは太陽から身を隠す、あらゆる方法を見つけていた。あの日、何ガロンもの水と汗が「こぼれた」。コスチュームを着た子供たちがいて、あらゆる年齢の連中がいた(写真:@harumetal69)。何人かの連中が、あの日パラディアムで何が起こっているのかをたずねた。ある女性の「何てこと、すごいわ、本当に献身的!」という反応が気に入った。まったく正しいですよ。半日の間その辺をうろついて、自分が買ったチケットを売ろうとしていた。たぶんものすごい見返りを期待していたんだろう……彼に何枚あるんだと訊いたら、4枚と答えた。少なくとも彼は「正しい」数字を持っていたよ(笑)。価格は聞かなかった。そしてもちろん、マコトが親切にも宙に掲げてくれたフンコ・ポップと写真を撮らなければならなかった。その後後遅くに、俺たちは着替えに行って、ロジャーからのTシャツをショーに持っていった。
昼の間、俺は繰り返し、荷物の配達について、何度もクーリエ・サービスに問い合わせた。分かったのは、彼らは既に前の晩に俺に荷物を届けようとしていたのだが、英国航空が俺のアメリカでの電話番号を教えなかった(藁……俺は連中にそうしろと言って、連中はイエスと答えたんだぞ)ので、ドライバーが、何か起こるとは思わずに俺が出かけていたので連絡ができなかったというんだ。16日にバッグはドライバーのところにあり、その日の「いつかに」届くことになっていた。クーリエ・サービスの連中は俺の電話がいやになっていたんだろう。いつもこう言った。「n分ください、最新情報をお知らせします」……連中は電話してこなかった。だから俺は何度も試したんだ。その日の午後に、連中に配達先を変更して、バッグをマコトのホテルに届けるようにさせた。そうすればアフターパーティーの途中でピックアップできるからね。連中は同意して、新しい住所をドライバーに連絡すると言ったが、後で分かったんだが、配達はされなかった。
さて、面白い部分はここからだ。
(続く)
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▼元記事
Trip to LA / Palladium show (wall of text) (self.BABYMETAL)
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