2018年1月11日木曜日

[Dana Distortion] 愛は死よりも強い、あるいは2018年のための希望の小さな覚書

[Dana Distortion] 愛は死よりも強い、あるいは2018年のための希望の小さな覚書

ダナ・ディストーション(2018年1月10日)






藤岡幹大を偲んで

一世紀毎に寿命が延びているのは事実だけれど、私は最近耳にするのが死のことばかりのように感じる。

近年の有名人の数多くの死のせいだろうか、あるいはソーシャル・メディアが死とその表出を私たちにとって直接的な、見えるものにしているという事実によるものだろうか? それが何であるのか、私には正確には分からないけれど、目を覚まして、誰かが亡くなったことについてのポストを見ない日はない。

死は恐ろしいもの、少なくとも私にとってはそう。死が怖くないと主張する人のことが分からない。そういう人たちを信じないのか、あるいはうらやましくてたまらないのか分からない。いずれにせよ、死は簡単に語れるものじゃない。

会話では死という話題についてのものすごいタブーがある。私はいつも、死について話しすぎると、若死にすると感じているが、死を不愉快なものにしているのは、死について知られていないことが大きい。私たちには何がこれから起こるのか、誰が次になるのか分からないし、誰も死んだ後で何が起こるのか知らない。

何で、若いうちに連れて行かれてしまう人がいるんだろう。どうして人よりも長く生きる者がいるんだろう。誰があなたが行く時を決めるんだろう。来たるべき日を妨げる(あるいは前倒しする)ことができるものはあるのだろうか。

私たちはみな、こうしたことを考える。

十代の頃、私は死に取り憑かれていた。いつも自分の周りにあるように思えて、死はいつでも私の心を占めていた。とても幼い頃から、私は人生で数多くの死を体験してきた。自殺した者もいるし、奇妙な事故で死んだ者もいるし、ドラッグで死んだ者もいるし、悲劇的な事故で私の目の前で死んだ良き友もいる。死はいつもそこにあった。厳しく、驚かされ、恐ろしく、誤解されて。

私は自殺をすることを選ぶ人のことが分からないし、時には混乱させられることもある。自殺を選ぶ者は、もう耐えられないような苦痛を感じる者だという人もいる。成長するほどに、この道を選ぶ人を許せるようになった。率直な真実は、私たちは人の頭の中で何が起こっているのか分からないということ。他人が何を感じているのか本当に知ることはない。私が強いからといって、他人もそうだとは限らないということが分かるようになるまで長くかかった。自分が多くの苦痛に耐えられるからといって、他人もそうできるわけではない。私たちの誰もが違った内なる命を持っており、私にできるのは、自分のタフさを広げたり、心配や苦痛や不安に対処する別の方法を示すことで、何とかして支援やインスピレーションや強さを差し伸べようと試みることだけだ。だから私は自分にとっては自然なことではないけれど、もっと表に出ることに決めた。私の作品や言葉や積極性を世の中に出すことで、そこにいる誰かももっと楽観的で強くなる助けになったら良いなと望んでいる。

死は人生の一部なんだ。そして死は生をさらに大切なものにしてくれる。死は、長生きをするとしても、生は短いことを思い出させてくれる。世界にはあらゆる種類の問題があることは分かっているし、私たちは同じ問題を共有しているわけではない。中には人より金銭的な問題を抱えている者もいるし、健康上の問題を抱えていたり、自分ではどうにもならない不幸な出来事が人生で起こってきたりした者もいる。誰もが困難や問題を抱えているけど、私は必要な時に頼れるような救いや積極性を提供しようとしている。ねえ、私たちはまだここにいるんだから、どうしてできる限りそのことを活かさないの?

もし愛する誰かを亡くしたら、良い時代を思い出そうとしてほしい。それがあなたの人生にもたらした良いことや幸福を。記憶は誰にも奪えないもの。私はなくしてしまった人たちにいまでも手紙を書く。物理的にはもう一緒にいなくても、愛する人たちを自分の人生の一部にしていたい。

私は時々、なくした人たちに語りかける。いつも応えてはくれないけど、時には奇妙な形で助言や癒やしの言葉を聞くことができる。おかげで、辛いときや、あの人たちがいなくて寂しくてたまらないときを乗り越えることができる。理由はたずねようとしないけど、なぜあの人たちを愛していたのか(いまでも愛しているのか)を思い出させてくれる。愛は死よりも強い。

また音楽、そして愛する音楽を聞くことに癒やしを見出す。神様(そして友人や家族のほとんど)は、もしジョン、ポール、リンゴ、そしてジョージがいなければ、たぶん私は今日ここにいることすらなかったと分かっている。私は生き、死んで、私たちが楽しむことができる本当に多くのものを残してくれたミュージシャン、そして必要な時に私たちが聴く喜びの音を創ってくれている、まだここにいるミュージシャンたちに感謝している。良いときも、悲しいときも、そしてもっと希望を持てるような理由(あるいは百万の理由)が必要なときに。音楽は不滅。

音楽と愛は私たちを一つにしてくれるもの。音楽と愛は、私たちが孤独を感じるときに、もっと一緒にいると感じさせてくれるもの。

2017年、私たちは多くの偉大で大切なミュージシャンを失った。たとえば、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノ、チェスター・ベニントン、J・ガイルス、クリス・コーネル、グレッグ・オールマン、マルコム・ヤング、トム・ペティ、そして私の大切な友人で同僚だった藤岡幹大。

彼らに、私たちの人生にあなたたちの音楽をもたらしてくれて、一体感と希望を与えてくれてありがとうと言いたい。あなたたちの曲で辛い時代を抜けて導いてくれて。あなたたちがいなければ、この世界は別のものになっていただろう。

これを読んでいる、親愛なる友人、家族、親族、そして皆さん、音楽をたくさん聴いてください、一緒にいる人を愛して下さい、愛を諦めないで下さい、そして自分をあきらめないでください。

素晴らしい2018年を、みなさん!

XXX

愛、愛、愛

愛、愛、愛

私と共は歩いていた

朝の冷たい光の中を

涙が目をかすませるかも知れないが、魂は偽れない

この世界では、冬でさえもそれと思えるものではない

青空がやってくる、春がやってくる

川が高まり、涙が乾けば

死ぬものがすべてよみがえれば

愛、愛、愛は死よりも強い

愛、愛、愛は死よりも強い

人生で、私たちは触れることができない者を熱望する

言葉にされなかった想いのすべて、そして表されなかった感情のすべて

吐息の上の霧のように、俺たちの心で演奏し続けてくれ

でも悲しみに目覚め、俺たちの魂は語る

手を伸ばした腕を、鼓動を打った心臓を

微笑んだ唇を、泣いた目が育った

種の中の命が死ぬなんてどうして信じられるだろう

青空がやってくる、春がやってくる

川が高まり、涙が乾けば

死ぬものがすべてよみがえれば

愛、愛、愛は死よりも強い

愛、愛、愛は死よりも強い

愛、愛、愛は死よりも強い

愛、愛、愛は死よりも強い

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▼元記事
LOVE IS STRONGER THAN DEATH, OR, A LITTLE NOTE OF HOPE FOR 2018






2 件のコメント:

  1. くそ、多分に感傷的になっている今読むと涙が止まらん.....

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  2. 「愛は死よりも強い」素晴らしい言葉です。
    ダナさんありがとう!!

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