2018年2月25日日曜日

[Jot Down] BABYMETALの奇妙な旅路(その3)

[Jot Down] BABYMETALの奇妙な旅路(その3)

エミリオ・ド・ゴルゴ

[スペイン語からの重訳です]






2014年にBABYMETALは最初のフルレンス・アルバム、「Babymetal」を発売したが、国内では非常によく売れた。小林啓は、その妄想で日本のオーディエンスを勝ち取ったが、多き魔問題はこれほど常軌を逸したものが海外でも歓迎されるかだった。日本では、このコンセプトは海外同様に新規物と見られたが、人々は女の子たちと同じ言語を話し、テレビのおかげでその個性や軌跡を知っていた。視聴者はグループの文化的なコンテクストに慣れ親しんでいた。でも海外は? 反応の予想もつかなかった。アニメやマンガの世界的なインベージョンがそうではないことも示唆していたが、日本はとても孤立しており、西洋では知られていないことや、歓迎されないことが数多く起こっていた。つまり、西洋では「マイリトルポニー」(女児向け玩具)の忠実なファンである大人たちと結びつくかも知れないということだ。だがこういった連中が重機を取り扱うべきかどうかというのは別として、私たちが取り扱っているのはマイノリティの話である。ヘビー・メタルは一方でそれほどマイナーな存在ではない。ポップほどの勢力ではないにせよ、メタルのフォロワーはスタイルに対してとても、とてもこだわりがあり、BABYMETALは個人的な怒りを買うものとなるかも知れなかった。

インターネットがなかったら、BABYMETALが日本を出ることはなかったかも知れない。グループのYouTubeアカウントのビデオのコメント欄で西欧言語によるコメントの数が増えていたので、小林は希望を持っていた。小林はぜひ試してみたいと思っていたし、日本の現象の中には海外で良く理解されていないものがあることも意識していた。もちろん小林は痛み止めなしの難しいやり方でこれに挑んだ。誰も聞いたことがなかったBABYMETALの国際デビューの場として、小林が選んだ最もデリケートなシナリオが、英国に向かう2014年のソニスフィア・フェスティバルだった。理論上はこれは芸術的な自殺、そしてほとんど文字通りのそれだった。ヘビー・メタルを知っていれば、気に入らないものがある時には、一部の観客、特に英国の観客がどのように反応するのかが分かっている。私たちは、いくつかのグループが恥と侮辱の対象となり、さらにひどいことに、小便入りのボトルのような投げ込まれたものを雨のように浴びることもある。

海外ではじめて、しかもさらに恐ろしいことに、BABYMETALを本物のメタルに対する侮辱と取りかねない観客で満杯の、人生最大の観客の前で演奏するということに対して、三人の無防備な日本人の少女がどれだけ勇気が必要だったかを想像して欲しい。このような経験をしたいと思うものはほとんどいないだろうし、もちろん私もあえてそうしたいとは思わない。さらに悪いことに、日本では彼女たちは既に有名であり、独自の照明、ステージ、イフェクトなどがあったが、ソニスフィアではセカンド・ステージで昼間演奏しなければならず、そのショーで成功を勝ち取れるのは自分自身(とバック・ミュージシャン)だけの力だった。コンサートを最初にスタートさせた否定しようがないミュージシャンたちのパワーは、自分たちのバックに本物のメタル・バンドがいることを明らかにしたが、三人の女の子たちが臆することがなかったという事実は評価されてしかるべきものだ。そうだ、彼女たちはあの観客の前に立ったのだ。これは悲劇に終わったかも知れないが、彼女たちはそのカワイイ魅力とエネルギーを示し、30分の演奏を経て、成功し、観客を納得させてステージを去った。英語の発音すらほとんど知らない三人の日本人の少女がソニスフィアのメタラーに「ギミチョチョチョチョ」(ビデオの2:45秒)を歌わせたという事実は、このイベントにいた人々の携帯電話によるドキュメンタリー映像がなければ、信じようがないようなこの世のものとは思えぬ現象だった。でもこれは現実になったのだ。

[ソニスフィアでの"ギミチョコ!!"ライヴ]

BABYMETALのカワイイ・メタルがソニスフィアで成功したとすれば、少なくとも理論上は欧州のどこでもうまく行くことになる。さらに、欧州のヘビー・メタル・メディアの一部(全部ではないと申し上げておく)が彼女たちは本物であると認め始めた。メタル・ハマー誌は、その次の号で彼女たちを特集したが、他の雑誌ははっきりとけなしてはいなかったが、もっと懐疑的だった。だが噂が功を奏し、人々はBABYMETALのコンサートを見るために行列を作り始めた。最初は彼女たちを笑いものにするのは簡単だが、実際にコンサートに行った人々は、会場をどれだけ素晴らしいショーだったかと語り合いながら去るのだ。BABYMETALは既に数年の間、観客をどうしたら意のままにできるのかを学んでいたので、欧州では彼女たちはとても洗練されたものに見えた。人々は、このグループの一部として音楽の高い質があり、スゥメタルのヴォーカルは素晴らしく、三人の女の子たちには疑いようのない努力が存在することを認めたのだ。

だが、常に困難なアメリカ進出が残った。BABYMETALはロサンジェルスのフォンダ・シアターデビューを飾った。いつものように、バッキング・バンドが(カリフォルニアのロック・ファンをいつでも喜ばせるVAN HAHENへのトリビュートを含め)その演奏技術の高さを示しながらコンサートを始め、それから三人の女の子たちがその奇妙なフュージョン音楽を歌い、踊った。ここでも成功した。初のアメリカでのコンサートで彼女たちは熱狂的に迎えられ、アメリカでも彼女たちをまたライヴで見たいという需要が高まっていったのだ。

▼元記事
El extraño viaje de Babymetal






2 件のコメント:

  1. >海外ではじめて、しかもさらに恐ろしいことに、BABYMETALを本物のメタルに対する侮辱と取りかねない観客で満杯の、人生最大の観客の前で演奏するということに対して、三人の無防備な日本人の少女がどれだけ優樹が必要だったかを想像して欲しい。

    翻訳ご苦労さまです。
    泣いた。

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  2. いつも翻訳ありがとうございます!

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