2017年11月8日水曜日

[Mark Liew Coaching] BABYMETAL

[Mark Liew Coaching] BABYMETAL

2016年4月、私はBABYMETALというバンドを紹介するステーヴン・コルベアのクリップを見た。バンドは激しい演奏を始め、日本のアイドル・ポップ音楽とパンク・メタルを混ぜ合わせたように思える曲を演奏し始めた。私は画面を見て、自分が聞き、見ているものが何かを理解することができなかった。






音楽は荒々しくタイトに思え、バンドのメンバーは屍鬼のような衣装を着ていた。フロントの三人の少女たちは、日本のポップ音楽によりふさわしいように思える様式美の振り付けされたダンスを行ったが、奇妙なことに音楽の強烈さにマッチしていた。

私はすぐにビデオを再生し直してから、オンラインの彼女たちの他の音楽を検索した。日本でのライブ・ショーのビデオを見つけ、彼女たちがショーでスタジアムを満杯にしていることに気付いた。最初のビデオで見たものは、バンドとその演奏が小さなステージには大規模すぎるように思えたからだ。私は彼女たちのライブのスタジアム・ショーを見て、夢中になった。メタルに最後にこれだけ関心を持ったのは、グランジが頂点に達した時にTHE MELVINSを見た十代のことだったと思う。

それから、私はオルタナティブ、ジャズ、そしてアフロビートを探求し始めたが、ライブを見たいと思う同時代のバンドは見つからなかった。私はマイケル・ジャクソン、METALLICA、そしてU2のような大規模なスタジアム・ショーは行ったが、FUGAZI、THE ROLLINS BAND、BABES IN TOYLAND、THE MARK OF CAINなどの無名のインディー・バンドを大学のホールで見るのがほとんどだった。

BABYMETALのライブ・ビデオを見て、そのファンの強烈さを見るうちに、どんどん魅了されていった。日本のショーでは、ある程度ファンがバンドと一体となり、音楽とその瞬間を共有しているように思えた。しばらくして頭に考えが浮かんできた。日本でBABYMETALのライブを見たい、その音楽と日本のファンを経験してみたいと。

距離という意味でも、可能性という意味でもあまりに遠く感じられた。このための時間があるだろうか、そしてあったとしても、チケットはすぐに売りきれるので、手に入れるのがかなり難しい。そして日本のチケット販売システムは訳が分からず、日本人や日本語ネイティブが有利だ。すべてがあり得ない考えに思えた。

これはあり得ない夢だと考えて一年経った頃、日本のBABYMETAL巨大キツネ祭りの告知があった。私は過去のショーのビデオを見て、こうしたイベントの間のバンドのものすごさとファンの規模について学んでいた。

この告知で最も興味深い部分は、一般販売前に、二度チケットの抽選があるということだった。最初のチケットの抽選は日本の住民向けで、二度目は無制限だ。私はこの抽選に加わる選択肢を探した。

最初の抽選ははずれで、驚きはしなかったが失望はした。

驚いたのは二番目の抽選だった:

[当選を知らせるメッセージの写真]

私はすっかり興奮した。三十分後、私はフライトをブッキングした。計画としては、朝大阪に飛び、夜ギグに行き、翌朝飛行機で戻るというものだ。その間、大阪の街をうろつこう。これは、自分が二十三歳の体を持っていた十七年前が最後に行ったメタル・ギグだということを明らかに無視しての話だ。

人生が私にこのことを思い出させた。その日が迫っても、BABYMETALのライブを見るという考えはピンとこなかった。月が週になり、コンサートの六日前に病気になった。

これは通常のインフルエンザの発作ではなかった。何年か一度にかかるもので、数週間におよび、複数の抗生物質をのんで、なんとか回復する。フライトの四十八時間前に、私は抗生物質の二回り目に入っており、この度はつらいものになると分かっていた。私はホテルの部屋を予約して、コンサートの後、帰国のフライト前に休めるようにした。

私は大阪へ向かう深夜便のフライトに乗り、仕事を通じて知り合った日本人の友人に迎えられた。私は第三者の再販業者から二枚目のチケットを手に入れており、本物のように思えたので、彼女に使うかとたずねていた。彼女は同意したので、空港で私をピックアップするために、滞在している場所から数時間ドライブして、一日中私に付き合ってから、夕方コンサートに行った。

街や場所、そしてイベントは、最終的に誰に会うかにかかっていることが分かっていたので、このことでおおきな違いがあった。私はフライト中に寝ることができなかったし、健康状態もあって、友人とおしゃべりをしていたおかげで、その日は楽になった。

いずれにせよ、私は大阪城ホールで抽選に当たったチケットをピックアップしなければならなかったので、私たちは隣接するビジネス・パークまでドライブした。ブリッジから、長い行列ができているのを見て少しうろたえた。まだ昼だった。

だが近づいてみると、それはマーチャンダイズのための行列だと分かった。熱心なファンと、日本限定のマーチャンダイズを再販仕様としているチケットの持ち主の組み合わせによって、ギグ直前の夕方まで衰えることがなかったものすごく長い行列が生まれていた。

チケットの受取窓口には誰も行列していなかった。パスポートとプリントした電子メールを提示するだけで、数秒でチケットを受け取ることができた。下の写真では、赤い四角のポスターの左に当たる。

ようやく私はチケットを手にした。これは現実であるように思えた。まだ信じられなかったが。

いずれにせよ、私たちは昼食に行き、お互いに最近のことを離した。私はいつも会話を求めている。「どこかに行って、何かをする」ことの連続から、その瞬間をフルに生きることに精神を切り替えることができるからだ。昼食はそのために良い時間だ。

夕方になり、私たちは会場に向かった。BABYMETALの衣装を着たファンを見掛けたので、話しかけた。彼はダイという名前で、最高のファンベースを持つという評判のバンドの性格の良いファンであるように思えた。

私たちは三人で会場へ歩いて行った。ダイは公式ファン・クラブのメンバーだったので、スタジアムのモッシュ・ピットのエリアに行くことになっていた。これは五回目のコンサートだった。私は本物の日本のBABYMETALファンに会ったのだ。

集まった観客は膨れあがっていった。BABYMETALのTシャツを着た人があれほど数多く集まっているのを見ると不思議な気分だった。たぶんバンドTシャツは私には向いていないのだろうが、ユニフォームのように思えたのだ。

最初の混沌に思われたものは、スタジアムへの十分に統制の取れた入場へと変わっていった。モッシュッシュ・チケットの所有者には片方の入り口、モッシュッシュ・シート・チケットの所有者には別の入り口があった。私たちは非公式な行列に入り、階段を上って、金属探知機が用意された入場セキュリティーの所に行った。

私はようやく、基本的に日本のファンを対象とした日本の会場で、日本のメタルを見ることになった。

スタジアムに入場してみると、その光景は非現実的に思えた。屋根の近くにはスモークが層になって浮かんでおり、そこら中に人がいて、赤い照明システムがあった。私はメタル・コンサートの舞台に戻ったのだ。過去の経験からはありがたいことに欠けていたのは、すえたビールや小便と組み合わされた、マリファナを吸っている人々の悪臭で構成される変な臭いだった。

だが残念なことに存在しているのは、ひどいコンサート前のメタル音楽だった。きしるような陰鬱な叫び声は、BABYMETALがもたらす軽快さや陽気さに対して古すぎるように思えた。私はBABYMETALを見に来たのであって、SLIPKNOTやMETALLICAを聞きに来たのではない。途中でIRON MAIDENがかかり、スタジアム全体にあのヴァイブが伝わって、まるで'80年代にタイムワープしたようにも思った。

私が耳をふさいで耐えながら、スタジアムが満杯になっていくのを見ていた。これはバンドがステージに上がる二十分くらい前の様子だ:

そして彼女たちが登場した。

私は演奏がものすごくラウドで驚いた。また、ライブのサウンドが激しいことも思い出した。だからこそ、私は最初に見たクリップに惹きつけられたのだ。目の前で見ていながら同時に現実とも思えないという奇妙な組み合わせだった。

私は下方に見える列を見た。男性と四歳くらいの女の子がいた。彼女はシンガーたちのようにドレスアップしていて、最初の曲が始まると、すぐに手の平で耳をふさいだ。彼女は攻められない。私は耳栓を付けることを選んだ。私の年齢と病気を考えれば、明らかな選択肢だった。私はまた、息子か娘を連れてきていたら、耳栓をするようにしただろうと思う。耳鳴りは楽しくない。

私はポケットに手を入れて、友人に渡すのを忘れていたスペアの耳栓を取り出し、男性の肩を叩いて、耳栓を見せた。彼はすぐにうなずいて、娘の耳に入れた。彼女はそのあとは大丈夫そうだった。このラウドで目眩くイベントの間、私は人と結びつく瞬間を見出した。

コンサートの残りは良いものだった。私はライヴでしか観察できないパートに集中した。一人がソロをしているときに、他のバンド・メンバーがどのように演奏しているのか、ダンスの振り付け、そしてモッシュピットで人々が回転して走っているときの三人のシンガーのポジションなどだ。

セットリストは次の通り:

BABYMETAL DEATH
ギミチョコ!!
メギツネ
ヤヴァ! (神バンドのソロあり)
Amore
4の歌
Syncopation
META メタ太郎
イジメ、ダメ、ゼッタイ
Karate
ヘドバンギャー!!
Road of Resistance
The One

ショーの最後に、私は混乱と疲れの両方を感じた。これだけの勢いを得て、突然行き場が泣くなり、フライト、睡眠不足、そして病気からの強まる疲れが組み合わされた感覚だった。私の頭はものすごい勢いで回っていたが、外ではラウドな音楽が止まっていた。自分が目撃したものをどう考えればいいのか分からなかった。

私はスタジアムから出て、友人と前に待ち合わせると決めていた場所に歩いて戻った。まだ頭の中では次々と変わるイメージとそこを駆け抜けるような音楽で一杯だった。

友人はあの晩、家に車で戻ることになっていたので、私たちはコンビニに寄り、屋外のテーブルに座ってさらにおしゃべりをした。ファンのダイが通りかかった。私はハッピーだった。先ほどコンサートのためにそれぞれの列に分かれたとき、一緒に写真を撮らないかと訊ねようと思ったが、ためらってからやめておくことにした。彼のプライバシーを大切にしたかったし、会ったばかりの人に求めるには少し行きすぎに思えたからだ。

だが、今度は頼んでみることにした。ダイはいいよと答えて、その後で自分の体験について残って話をした。また、気付いたこといくつかについてたずねた。これは私にとってBABYMETALの初体験だったからだ。

私はコンサートを楽しんだ。この音楽が好きで、ラウドでがむしゃらなバンドのアプローチが好きだ。だが、そのただ中で、友人と近況報告をしたり、ダイにあったり、父親と小さな娘に耳栓を渡したりといった小さな、地味なつながりこそが、本当に楽しんだ瞬間だった。

私はバンドのライブを見、数人の日本人のファンに会い、友人と一緒の時間を過ごした。このすべてはそれほど遠いことのようには思われなかった。

▼元記事
Mark Liew Coaching






9 件のコメント:

  1. 翻訳ありがとうございます!
    やっぱりコルベアは出てほんとによかったね。 


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  2. 素晴らしい訳をありがとうございます。いつも感謝しています。

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  3. プロのエッセイみたいで素敵。

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  4. >私はポケットに手を入れて、友人に渡すのを忘れていたスペアの耳栓を取り出し、男性の肩を叩いて、耳栓を見せた。

    すごく繊細な観察眼を持った人だ
    尊敬に値する
    病気が良くなったことを祈りたい

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  5. 情景が目に浮かぶ様だ
    翻訳を超えたブリリアントな文章に感謝

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  6. >日本のチケット販売システムは訳が分からず、日本人や日本語ネイティブが有利だ
    ココらへんが改善されると、もっと来日してくれる方が増えるかもしれないですね

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  7. 自分がファンになった外国のアーティストを見る為にわざわざ外国に行くかと
    いうとそこまでの活力はない
    しかしベビメタはそうさせる魅力があるってすげーことだなと改めて思う

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  8. 俺も同じ場所にいたよ。ベビメタって本当にいいですね
    さよなら さよなら さよなら

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  9. 僕もそこにいました。
    一期一会 in BABYMETAL。
    良い話ですねー

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