2018年2月23日金曜日

[Jot Down] BABYMETALの奇妙な旅路(その1)

[Jot Down] BABYMETALの奇妙な旅路(その1)

エミリオ・ド・ゴルゴ(2018年2月21日)

[スペイン語からの重訳です]






奇妙で説明できない音楽キャリアが存在し、その一つがBABYMETALのそれだ。もうBABYMETALを知っているなら、私が何の話をしているのか分かるだろう。そうでなければ、いずれにせよ、昔のSF映画の広告にあったように、驚く準備をしてくれ。好きになるか嫌いになるか分からないグループと向き合うことになるからだ。最初はおそらく気に入らないだろう。でもBABYMETALを発見することは新しい体験なのだ。これまで見たこともないようなものだ。最初にBABYMETALが動いているのを見たら、頭に自動的に浮かぶのは、「何じゃこりゃ」だ。そういう漢字なんだ。あまりにショッキングで、どんなステレオタイプにもはまらない。だがステレオタイプというのは乗り越えるためにあるものだ、たとえ限界を超えようとする者が常に成功するとは限らないが。乗り越えようとする者はそれだけで嘲笑されたり、無視されたりするリスクがあるし、その存在はまず気付かれない場合が多い。だが時にはその逆で、ステレオタイプが、まったく想像もできないような存在によって打ち壊される。これがあらゆる妥当な予想にもかかわらず(少なくともミュージシャンの)ヘビー・メタルの世界のハートを勝ち取った三人の少女たちであるBABYMETALのケースなのだ。そして君が無視していても、いやでもそうなる。最初人々は途方に暮れ、それから共感するようになり、最後には自分の道を進んでいればみんなが賞賛することになる。

ステレオタイプから始めよう。ヘビー・メタルは男のものであり、あるいはせいぜい、強いイメージを放つ女性のものである。ハードなタイプとハードなタイプ。別のステレオタイプは、ヘビーメタルは攻撃的に歌われるものであり、従ってそもそもティーンポップ、特にJポップの破壊的な日本のティーンミュージックのような甘ったるいフォーマットとは相容れない。ヘビー・メタルはファモーザのオモチャのような声で歌ったり、アメリカのチアリーダーのグループと学校のダンスの中間を行くような振り付けによるステージングを伴ったりしてはならない。このようなステレオタイプは、BABYMETALが粉砕したステレオタイプだ。私たちの三人の主役は、カワイイを完璧に表現する。カワイイは「キュート」のようなもので、こうしたステレオタイプによれば、国際的なメタル・シーンでは付き合うことも、まともに取り上げることもできない。現実はどうだろうか? BABYMETALは、地球上で最も有名なヘビー・メタルやハード・ロック・グループの99%の尊敬を集めている。

そうだ、彼女たちが共感を集めるのは、彼女たちがとても小さい頃からはじめて、8年近く活動した今日でさえも、彼女たちはまだとても若い(例えば、一番若いメンバーは20になったばかりだ)。世の中で彼女たちが優しい目で見られるのは理解出来る。だが、誰もがBABYMETALは最初、実験室の実験で始まったとしても、彼女たちはヘビー・メタルに取り組み、その出世の過程で、大人の荒くれ者が結成したようなグループでさえもびびるような観客に立ち向かってきた。自分たちもステージに立ち向かってきたロックの聖人たちには、BABYMETALがてめらうことなくステージに上がり、全力を尽くしてきたことが分かっている。実際、この言語に絶したトリオの経歴を見直さない限り、なぜすべての伝説のヘビー・メタル・バンドが、三人のBABYMETALの女の子たちを成熟した同僚として扱うのかを理解することはできない。

BABYMETALが、独自のスタイルで世界を征服したのが明らかになったのは、アメリカの主要テレビ番組、ザ・レイト・ショー・ウィズ・ステーヴン・コルベアに出演した2016年半ばのことだ。コルベア自身が、彼女たちが創り出す印象をそのまま語る「これから何を見ることになるのかよく分かりません…でも私はとてもワクワクしているんです!」と言ってBABYMETALを紹介し、観客のヒステリックな反応は、女の子たちがスターダムを勝ち取ったことを示している。(ヘビー・メタルのコンセプトに合致する)ミュージシャンたちのパワフルなバンドにサポートされ、三人の女の子たちは"ギミチョコ!!"という曲を演奏した。この曲の子供っぽい歌詞とポップなメロディーは、轟音のメタルに支えられる。長年に渡ってあらゆる種類のシナリオにおける偏見と闘い、三人の女の子たちは有名なTV番組に出演しても臆することはなかった。逆に、彼女たちは自分たちが既にステージを完全に支配し、人々を魅了する方法を知っていることを見せつけた。

私は主張する。もし君がまだ彼女たちを知らないなら、この曲が気に入ると思って下のビデオを見ないことだ。(ただし私は気に入っていて、そういう曲はそんなに多くない。)標準のスタイルのパラメーターで局を判断したり、議論の対象とならない、素晴らしいミュージシャンたちの演奏の質について問いかけるためのものではない。君が耳にするもので反感を覚えたとしても、私には理解出来る。これはこの三人の女の子たちが示すことができるショーの強烈さの全体を眺めるためのものだ。同じような番組で、私はほぼ毎週ライブ演奏を見ているが、ゲストのグループが、これほどのエネルギーを与えてくれることはほとんどないと信じてもらって良い。

[ザ・レイト・ショー・ウィズ・ステーヴン・コルベアの"ギミチョコ!!"ビデオへのリンク]

実際、君が考えていることは分かる。私も同じようなことを考えた。でも、どれだけ考えても、私は同じような現象を思い出すことができない。このカワイイ・メタルのグループは、METALLICA、GUNS N' ROSES、RED HOT CHILI PEPPERSの前座を務め、日本のバンドとしてはじめてウェンブリーのヘッドライナーとなり、米国と欧州のチャートで成功を収めた数少ない日本のグループの一つとなった。彼女たちは、メタル・ピュアリストたちが、彼女たちの演奏にリンチを加えようと待ち構えていることも知らずにフェスで演奏するような、ケイティ・ペリーやブリットニー・スピアーズでさえ直面したことがないようなことを経験してきた。だが遠回しな言い方はやめておこう。BABYMETALの実験は、基本的に二人の人物を中心としている。プロデューサーの小林啓、そしてシンガーの中元すず香だ。最も二人はそれぞれコバメタルとスゥメタルというニックネームで知られているが。小林啓(パリのミシュランの一つ星で知られるレストランの同名のシェフと混同しないように)は、音楽的にも美学的にも、この発明全体の黒幕だ。すず香は、その声と時間をかけて成長してきた圧倒的なカリスマをもたらす。

2010年に、私がガキだった頃、すず香は可憐ガールズというグループに加わっていた。特に面白いものではなく、やはり小さな子供たちで構成されていたと思われるリスナーのためにひどい音楽を録音していた、小さな子供たちによるディスコ風ポップのトリオだ。(ただし、日本では何がどのようなリスナーに向けられているのかははっきり分からないし、とても困惑させられる。)可憐ガールズはツアーに出ることすらなかった。何曲か録音し、数本のビデオクリップを録画し、インタビューを何度か行っただけだ。それも大量消費のための十代の商品を投入し、しぼるだけしぼり取り、それから別の商品と取り替える日本の「アイドル」業界のスピードと軍隊のような効率と共に。可憐ガールズの衣装やテーマは人気のあるアニメ・シリーズに基づいていたので、この三人は当時流行のアニメの短命のマーケティングに過ぎなかった。契約の予定通り、彼女たちは解散した。世界は何かを失ったわけでは無い。だが、それがひどいものだったとしても、そこには当時わずか11歳だった未来のBABYMETALのヴォーカリストがいたのだ。彼女の特徴である飛び出した耳でそれと分かる。残りの二人の女の子たちは音楽を離れスタジオに集中したが、すず香はステージにその血が流れていた。彼女は故郷の広島で七歳の時から権威ある俳優スタジオでレッスンを受けており、実際、彼女はBABYMETALのキャリアと並行して舞台で演じ続けた。彼女はまた、子供向けの典型的なテレビ番組にも出演した。ここまでは、この業界で歌っている他の女の子たちと彼女の間に違いはなかった。

一方、小林啓はヘビー・メタルの世界のハードコアなプロデューサーで、カネになるとしても、アイドル・ビジネスはやめたいと思っていた。小林は、可憐ガールズを引き継いで、歌もダンスも演技も出来、堂々とステージで演じられるすず香を中心にやりたいと考えていた。アイドル業界でよくあるように、小林は芸能事務所に目を向け、トリオを作り直すための二人の新しい要素を見つけようとしたが、候補者は誰も音楽の才能がなかった。「残りの候補者は歌ったり踊ったりした経験がなく、ただ行進したり、演技したりしていた子供モデルでした」と小林は振り返っている。すず香に当然のようにある要素の組み合わせが他の女の子たちにはなかったので、小林は探すのに疲れ、すず香を唯一のメイン・シンガーにすることにした。小林は、お供となる二人のもう少し小さな女の子を探した。すず香と共にダンスし、簡単なコーラスをつけるだけで良かったので、素晴らしい声さえも必要なかった。

▼元記事
El extraño viaje de Babymetal






3 件のコメント:

  1. 可憐やゆいもあをディスってるとこを除けばまあ、
    続きでどうなっていくか。

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  2. 可憐やさくらを否定はしないけど、音楽として聴くかと言われれば俺は聴かない。この人の意見に同意してしまう

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  3. アイドルにとって歌は構成要素の一つにすぎず目的ではなく手段。そして歌も音楽のほんの一部分でしかない。
    この論者はアイドルや芸能全体ではなくロック音楽としてのみの視点から論じているのだからアイドルの音楽要素に否定的なのは当然だろう。
    ゆいもあのシンガーとしての能力が中元すず香に遠く及ばないのは誰が見ても明らかな事実だからディスってるというのも違うのでは。可愛いことは認めているわけだから適材適所ということ。続きでどう評価するのかもまだ不明だしね。

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